伊達綱村からのメッセージ

  • 2021.10.14
  • コラム

江戸時代に悪法と云われた“生類憐みの令”をご存じの方は多いと思うのですが、同時代に定められた“貞享(じょうきょう)の特令”をご存じであれば、かなりの歴史好きか塩竃在住が長い方かもしれません。

諸説はありますが、双方ともに貞享2年(1685年)に策定された法律で、前者はよく知る徳川綱吉、後者は伊達家4代藩主の綱村により発布されています。名前に「綱」が付くのは単なる偶然なのか、はたまた奇妙な一致なのか、単なる当時の名前のトレンドなのか・・それは不明です。

塩竈港は昔から鹽竈神社とともに栄えてきましたが、伊達政宗の時世に米を江戸に輸送するために貞山運河を大規模に整備したことから、塩竈港を経ずに多くの物資を仙台の城下町に運ぶことが可能になり、必然的に塩竈港への入港船は減り、追い打ちをかけるような市中の大火にも見舞われ塩竈の門前街も廃れていた状況だったようです。

伊達家4代藩主の綱村は信仰も厚く鹽竈神社に太刀や馬を奉納し所縁も深く、当時の塩竈の民の声に耳を傾けて街を再興するために「貞享の特令」を発し地域振興策を行いました。

下記はその9箇条の特令(抜粋)となりますが、大胆な施策と見て取れます。

  • 藩米以外の魚介類、木材、物資等の輸送船は塩竈港に着岸すること。
  • 年貢を軽減すること。
  • 塩竈港の整備をすること。
  • 藩が250両(現在価値3000万)のご下賜金(かしきん)を塩竈に与えること。

現代風に読み替えてみると下記の通りですが、仙台塩釜港の今の課題解決に通ずるような気がします。

  • 仙台港区と塩釜港区の機能を分離しコンテナ船は仙台、その他のバルク船等を塩釜に誘致。
  • 港の施設使用料等の減免措置の継続
  • 港の安全向上のためポートラジオの設置、航路の泊地等の計画水深の維持
  • インセンティブによる入港船舶誘致

仙台塩釜港振興会がこれまでに行政に要望していることとあまり変わらないことに驚きます。

この特令により多くの人々が塩竈に集い活気が戻ったと聞きますが、明治政府による特令廃止にともない街は元に戻ったとも聞きます。

300年以上前に生きた綱村氏は聡明にも市中の民の声を聞き、自らの行動力で港街の経済改革、地域振興を断行し地域社会に大きく貢献しました。

翻って、現代の民の声は10年以上も風に吹かれて彷徨っているようです。

(UMO)

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